7日目は帰国日。

飛行機に遅延があってドバイ経由で帰国した。苦労もあったけど楽しい中東旅行だったなぁ。イスラエルはまた行きたいね。書き終えるのに2ヶ月近くかかってしまったけど、最後まで読んでくれてありがとう。そいじゃ。

A bottle of petra


2010 Trip to Middle East(中東旅行) | Flickrに写真載せておきました。

6日目はペトラ巡り

朝6時の開園に合わせて出発。5末だというのにやや肌寒い。道では人に会わなかったが、入り口では4〜5人が並んでいた。
チケットは33ディナールだったかな、年々高くなってるらしく買ったチケットには50ディナールと記されていて、その上にはディスカウントのスタンプが押されて33ディナールになってるみたい。

開園と同時に入ったせいかベドィンはまだ寝てた。ただ、観光客が少なく静かで涼しいなか歩けることを考えると早朝にきて正解だったね。

入り口からSIQと呼ばれる岩の裂け目まで10分くらい。SIQ入り口からエルハズネまで15分くらいかな。エルハズネと言われても分からないと思うけど、あのインディジョーンズに出てきた場所といえばみんな分かると思う。
El Khazneh and me!(エル・ハズネ)


SIQの中はこんな感じです。


そしてエドディル。
Ed Deir and me!(エド・ディル)
予想以上に遠かったけどエルハズネとは違ったすごさがある。

いったん、宮殿の墓まで戻って微速度撮影をおこなってペトラ巡りを終了。これを撮るためだけに三脚を持ってくるはめになるとは、、、(本当は自分撮影用のためでもあったんだけど、結局人に頼んだので、、、)。

エドディル周辺の動画。これも三脚使って撮影、回転させる速度が早すぎたのと三脚使う意味はないね。この日のためだけに三脚を持ってきたんだが、有効活用できていないな。。。Orz

ちなみに12時くらいにホテルに戻り始めたけど、エルハズネ周辺にはすごい人でうんざりした。写真を撮るならほんと朝早く行った方がいいね。

しばらくホテルですごしてからJETTバスに乗ってアンマンに戻り、6日目を終了した。泊まったのはダウンタウンに近いMeryland Hotelだけど、このたびで一番汚いホテルだったかも。。。。
Caravan Hotelといい、アンマンでは中途半端に払うなら安いホテルか高いホテルに泊まった方がいいのかもしれないね。

5日目はヨルダンのワディムーサ(ぺトラ)への移動日。

Damascus Gate
朝9時にホテルを出発し、途中お土産を買ってバス停に向かった。バスステーションのインフォで聞いたら、『ここじゃなくて、ここをでて左』と大雑把に言われただけで探すも見つからない。歩き方には載ってないしで探すのにちょっと手間取ってしまった。結局、近くの店の人に聞いたら親切に教えてもらえたからよかったものの。。。。(キングフセイン橋へのバスはアラビックバスステーションではなく、その隣にある袋小路になった場所から出発する。)
無事、キングフセイン橋へ到着し出国も完了。そして、ヨルダンに入国しアンマン行きのバスに乗り込んだ。
このバスもまた出るのが遅かったなぁ。30分後に出発するとドライバーが言っていたのに1時間以上待った気がする。乗客が埋まるまで待つ公共のバスってどうなんだろう。。
アンマン市内に入り途中下車する人が出る中、窓際に座っていた自分にタクシーが声をかけてきた。行きたい場所を伝えたら近くだからこのバスの終点(ムジャンマシャマーリー)から行くよりいいぞと言われて乗る気満々になったんだが、、、同乗していたオヤジにボラれるからやめとけと止められた。
たしかに、1-2ディナールくらいとられるんだろうけど(バスでの移動はその5分の1くらい)それでも300円くらいだからね。おまけにワディムーサへのバスの最終便出発時刻が近づいているので早くムジャンマジャヌーブに着きたかったんだが、、、、、結局、おじさんに押し切られる形であきらめることにし、シャマーリーに移動してからジャヌーブへバスで移動した。
案の定、ぺトラ行きのバスは出発寸前といった感じでぎりぎり乗り込めたんだが、、、わかるよね?そう、ここはアラブ。バスは出そうで出ない。出発時間なんか関係ないんだよね。おまけに、バスドライバーと喋っていた軍服を着たオヤジが若者と喧嘩しはじめてるしで、どんどん遅くなっていく。
さすがにまわりが止めにはいってことなきを得たが、今度はドライバーがお祈り始めるしで一向に出発する様子がない。そしてお祈りが終わったと思ったら、さっき喧嘩していた若者が仲間を連れてやってきて、また喧嘩再開してるしで、、、、、、5時近いんだからさっさと出発してほしいよ。
結局、警察が介入して喧嘩は終わり、、、、出発したのは夕方の5時過ぎ。そして、なんだかんだいってワディムーサに着いたのは夜8時過ぎ。。。。
降ろされた場所はワディムーサの入り口なのでホテルのあるダウンタウンまで歩いて、結局は9時近くになっていた。エルサレムのホテルを出たのが9時ちょっとすぎだから、移動時間は11時間近くになってホント疲れた。
泊まったホテルはダウンタウンの中心にあるエルラシードホテル。3星ホテルだから期待していたが、、、、まぁ 言わずもがな。ホテルの外にあるレストランでカバブを食べて5日目は終了した。
desert

4日目はエルサレム観光。

やはり移動がない日は朝から喜楽に過ごせていいね。食堂で日本人の男性を見かけたので声をかけさせてもらった。なんでも2年間くらいの予定で世界を旅してるとかで、いろいろ旅の話を聞かせてもらった。さて、食事を終えて一路旧市街の外へ向かった。

最初に向かった場所は最後の晩餐の部屋。
Last Supper Room(最後の晩餐の部屋)
実際の場所というのはレオナルドダビンチが描いたものとは異なり、窓がない部屋で本当にここが?って感じの場所だった。


ダビデ王の墓
Tomb of King David(ダビデ王の墓)
ここも嘆きの壁と同様男女で入る場所が区切られていて部屋全体が重苦しい雰囲気を醸し出していた。

マリア永眠教会に向かう途中で、現地の中学生くらいの子供におちょくられた。怒りたくなるというよりは呆れるような、恥ずかしくなるようなおちょくり方(おしりペンペンみたいな)だったので、おちょくられてるのは自分?だったけど思わず感心してしまった。
オイオイ恥ずかしくないのかよ、、と思ったのは束の間、俺の後ろからその子の友達だと思われる男の子が苦笑いをしながら歩いてきた。ひょっとしたらこの彼のことをおちょくっていたのかもしれない。

そして今度はすれ違った大人に日本人はrubbishだかlavishだか言われた。あまりにも唐突でどっちの単語を言われたか聞き分けられなかったが、どちらにせよ見ず知らずの人にこうだっと決め付けて物を言われるのはのは不快だよね。片手にでかい一眼持っていたのと、彼の表情から前者の意味で言ったとは思わないが、、、、
(それにしても中国人の多いこのご時世、よく日本人だって気づいたよね。)


マリア永眠教会
Crypt of Basilica of the Dormition Abbey(マリア永眠教会の地下)
歴史の浅い教会らしく普通に綺麗な教会って感じだったかな。


本当はまっすぐダビデの町へ行こうと思っていたけど、近くを通ったので寄った鶏鳴教会
St. Peter in Gallicantu Church
教会自体は新しいが、イエスを投獄した牢獄が地下にあり、行く価値はあるかもしれない。


ダビデの町
The Warren's Shaft
学生の遠足場所になっているのかわからないけど、とにかく小学生が多かった。肝心のヒゼキヤ水道は、短パンと懐中電灯が必要なのを知らなくて入るのを諦めたが、次の機会があったら是非行きたいなぁ。ほんと準備不足でした。


ゲデロンの谷
Kidron Valley(ケデロンの谷)
谷を挟んだ両脇にはオリーブ山とダビデの町という観光客が集まる場所があるのに不思議と人通りが少ない。日中でこれだから、ガイドに書いてあるとおり夕方は危険かもしれないね。


そしてオリーブ山をエッチラホッチラ登って昇天教会へ。
Chapel of Christ's Ascension(昇天教会)
ほんとっ なんにもない。 なにこれ? 教会というよりは納屋みたいな。この場所でキリストは昇天し、最後の足跡が中にあったんだが。


昇天教会はそれほど、、、だったけど、オリーブ山を登る坂から見えたエルサレムを一望できる景色は良かった。
Jerusalem
タクシーで行くよりは足で登ったほうがいいよ、ここは。

そしてダマスカス門近くにあるゼデキアの洞窟を見た後、エルサレムに戻りヴィアドロローサを辿り聖墳墓教会を再度回り4日目は終了。


ゼデキアの洞窟
Zedekiah's Cave
はなんにもない、、、、、洞窟というよりは単なる採石場だから行かなくてよかったな。


ヴィアドロローサ(キリストが磔にされるまで歩いた道)
Nine Station
要所要所に番号がふられ壁にその番号の印があったりする。こんな感じでキリストが背負った十字架をまねることができるみたい。

朝8時に出て帰宅は夕方5時、それでもまだまだ見るものがあるからすごいよね。

3日目その2

3日目その1の続き。

『やったな!』『すごいナーバスになって疲れたよ』と隣に座った人とやりとりした。バスに乗り込んだ外国人旅行客はみんな一様に『やったな!』って顔をしていたのが印象的だった。やはり欧米人でも疲れる場所なんだろうね。

もちろんこの旅行で一番不安だった箇所なので自分としても肩の荷が下りた感じだが、過ぎてみればなんてことはない場所だったのは言うまでもない。

エルサレムまでの道すがら難民キャンプらしきもの(それともベドウィンのキャンプ?)を見かけた。
a camp?

周りに街はなく緑もないこんな環境で生活できるのか、それとも生活せざるを得ないのか、、、どちらにせよ平和で何でも手に入る東京で育った自分の理解の範疇を超えているのは間違いない。砂と石ころの殺風景な景色の中を40分ほど走ってエルサレムに到着した。


ダマスカス門。
Damascus Gate(ダマスカス門)
旧市街に入るため到着して最初にくぐった門。おー ドラクエドラクエと感動した。ただし、ドラクエと違うところは門両脇の兵士が剣ではなくM16で武装してるところだが。。。。


スーク、お土産屋。
a street
エルサレムと言えば聖地のイメージが強いので静かな街と勝手に思い込んでいたが、主な道の両脇には所狭しと店が並んでいて客引きやらで騒々しい。
地区によってはいろいろその様相が変わるみたいで、ダマスカス門から入ってすぐはアラブ人地区でヨルダンやシリアのスークみたいな感じだった。

HDで撮ってみたけどブレブレだね。でもこんな雰囲気の場所。

とりあえず荷物を下ろしたかったので旧市街内にあるNew Imperial Hotelに向かった。ヤッフォ門から歩いて1分くらいの場所にあるホテル。
New Imperial Hotel

まだチェックインできないとのことなので、ダビデの塔、嘆きの壁岩のドームを巡る事にした。


ダビデの塔
Tower of David
ホテルから徒歩1分、旧市街内にあるちょっとこじんまりとしたお城。中はユダヤ人の歴史館となっており、時間さえあれば半日は過ごせそうな資料と広さがある。


昼食
lunch...
ぼったくられた、というかぼったくられるのは想像していたが想像の上を行っていた。 両替といい、聖地というか、欲にまみれたソドムだなここは。。。だから、宗教に熱心な人は表通りを歩かないのかもしれない。


嘆きの壁
Western Wall
言わずと知れたユダヤ教の聖地。頭にキッパ(頭にちょこんと乗せるお皿みたいな帽子)をかぶり近くによって見たけど、さすがに異邦人の自分には触ることはできなかったな。お祈りしている人が醸し出す重さには打ち勝てなかった。


岩のドーム
Dorm of the Rock
ソロモンの神殿跡に建てられたイスラム教の聖地。イスラム教徒以外は裏口から金属探知機付のゲートを通って入らなければいけない。嘆きの壁も同様で金属探知機があったからやはりテロを警戒してるんだろうね。

ユダヤ教徒の人が入り口の警備員に抗議してたからユダヤ教徒は入れないのかもしれない。中に入って見て回っていたら、先ほどの抗議していた人が強引に入ってきて?警備員と押問答をしていた。結局おじさんは追い出され、周りに居たイスラム教徒は警備員に激怒していた。やはり、壁だけじゃなくて神殿の跡地ももちろん聖地なんだよなと実感した次第です。


カルド
Cardo
世界最古の繁華街らしい。写真撮ってたらのりのいい女の子二人がポーズをとってくれた。撮られたがりが結構いるもんだね〜。それにしても中東の子はかわいいね。健康的で化粧が薄いのがいいね!


ヤコブ大聖堂
Cathedral of St. James
1日30分、儀式の間しか入れない大聖堂。お香の入ったつぼを片手に歌うようにお祈りをするのが神秘的で、今回の旅行で最も印象的な場所だった。この儀式を見るためだけにエルサレムに行く価値はあるかもしれない。

気づいたら4時になっていたのでチェックインしに戻ったが、、、まだ明るいので最後に聖墳墓教会に行くことにした。


ゴルゴタ
Golgotha(ゴルゴタの丘)
キリストが磔にされ、死んだ場所とされるゴルゴタの丘の跡。真ん中の四角い部分はむき出しになった丘のあとだそうです。(この教会は丘の上に立てられてる)


キリストのお墓
Church of Holy Sepulchre
この建物の中に墓石があるらしいが、さすがに興味本位で入れるような雰囲気じゃなかったのでパスした。


ドーム
Church of Holy Sepulchre
翌日来たら閉まってて入れなくなってたので、写真を撮れてよかったのかも。というか、他の人が勝手に入ってたのを勘違いして入ってしまったのかもしれないが。。。。

さすが、キリストの死んだ場所とお墓があるだけあってすごい混んでいた。おまけに中がすごい広くてここだけで写真を100枚くらい撮ってしまった。。。

ホテルに戻ったのは5時過ぎ。移動、移動の連続で疲てたけど、折り返し分の服を洗濯して3日目を終了した。

New Imperial Hotel
ここが3日目の部屋。テレビが無いことをのぞけば一番過ごしやすい部屋だったかもしれない。WiFiインターネットもあるし、部屋は奇麗だったし。

ちなみに、ホテルを出て左手にある両替所でイスラエル通貨(シュケル)を買ったんだけど、ぼられてると知らずに2万円で630シュケルを購入してしまった。面倒でなければ、他の両替所も回って確認するのがいいんだろうね。(1シュケル31円くらいか。1シュケル25円くらいが為替相場だったので、手数料を含めても28円ぐらいだろうからだいぶ高いことになる。。。Orz)

3日目その1

三日目はエルサレムへの移動日。

夜9時に寝たおかげで朝4時に起きた。モスクが近いせいかアザーン(礼拝への呼びかけ)が聞こえる。イスラム教は一日五回の礼拝を行うが、こんな夜明けに起きてやる人はいるのだろうか。
a street

朝7時にバスが出発するということなのでJETTバスのオフィスに6時30分には着いていたんだけど、そう、ここはアラブ圏、バスが定刻通りに出発するはずが無い。まてど、まてどこない。事務のおっちゃんに何度聞いたことか。
唯一読めるアラビア語は数字だけという有様であるため、チケットに何が書かれているか分からない。。。Orz

気づいたらとなりに座っていた陽気なスペイン人のおじさんも周りに居た女の子も居なくなっていた。残っているのはブルカをかぶった女性(目だけが見えるイスラム教徒の服装)がいるだけ。この凍てついた空気が堪らない。もう8時過ぎてるんですけど、、、

JETT office
8時半頃にやっとバスが出発することになったがお客は俺一人。50人乗りくらいのバスに俺一人。うーむ、1時間半も遅らせるわけだ。

木が一本もない山道を1時間ほど進んだところで国境のキングフセインブリッジに到着した。
to the bridge

イスラエルへの入出国スタンプが押される、または入った形跡が分かるスタンプがある場合(ヨルダンの出入国スタンプがある場合)は、イスラム圏の国に入れなくなるとのことなので念のためスタンプを押さないでと出国管理官に伝えておいた。
返事もしないでもくもくと作業をしてたのでちょっと不安になったが、出国のバスの中でスタンプを押された紙が挟まったパスポートを受け取って安心した。
橋を越えた所で出国スタンプは回収されて、イスラエル出入国管理所で下ろされた。
オークリーのサングラスにポロシャツ、そしてカーゴパンツといういでたちのフランクな格好にはおおよそ似合わない使い古されたM16ライフルを肩にかけたトムクルーズ似の警備員が出迎えてくれたわけだが、違和感がすごい。
次に視界に入ったのは200万ドル?の懸賞金のかかったテロリストの手配書。 なんとも物々しい、、、、

そして、書くと長くなるので入国の様子を箇条書きでまとめてみると以下のような感じ。

  • 何度も金属検知器にひっかかるイスラム系の子供とお年寄りに警備員がぶち切れ。俺の目の前だったのでいろいろな意味で俺びびる。
  • ミッシェルロドリゲス、ジェシカアルバ似の美人入国管理官にシリアの入出国スタンプを見つけられ言葉攻めに。。かわいいからヨシトスル。
  • 入国スタンプ押さないでと言った後のその入国管理官の態度がアレな件。結局俺びびる。

スタンプのことをすっかり忘れてたので危うかった!

それにしても美男美女が多い国だとは聞いていたが、本当に美男美女だらけだな。このゲートに美男美女を集めてるだけなのかもしれないがw 何はともあれ、エルサレム行きのバスに乗り込み一息ついた。

3日目その2へ続く。

2日目

二日目はアンマンへの移動日。

実は午前中をダマスカスの散策にあてようと思っていたけど、観たい場所は一日目にみれたこともあり全日を通してアンマン移動にあてることにした。 バスでガラージュソーマリーエへ移動し、そこから乗合タクシーでアンマンへ移動した。
Bus Station to Somarie

写真の緑色のバス(15番)でソーマリーエへ移動。自分が立っていたバス停より100mくらい手前の何もないところに止まって客を乗せていたため一本目を逃した。。。。Orz

やっとこさ次のバスに乗れるも、半身が出たような状態で出発しだすし。 というか俺の後ろにも人がいるんですよ?
garage somarie

結局ソーマリーエに到着したのは10時過ぎで一本目のバスを逃すことに、
二本目のバスは午後に出発するとのことなので乗合タクシーでアンマンに向かうことにした。

もちろん、乗合タクシーなのでお客が4人揃うまで出発しないんだけど、ドライバーがんばるがんばる。結局1時間ぐらいかかったが何とか出発することができた。(1時間が長いか短いかは微妙。)

この声をかけた人の中にはヒッピーみたいな格好をした日本人女性も居たけど、値引き交渉の末(600SPまで下げた。バスは400SPくらい)高すぎるとのことでどっかに去っていた。いかにも日本人らしいというか。。。なんというか。。。

ま、このドライバーももっと説明しないのが悪い。セルビス(決められた区間を走る乗合タクシー)と違い乗合タクシー?なので、アンマン市内の好きなところに降ろすことを言ってたらその人も乗っていたかもしれない。
バス代とアンマン市内のバス代/タクシー代と考えるとそんなに悪くないよね? (自分はアンマンについてから気づいた。実はセルビスだと思っていたのでどこかの停留所におろされるものと思っていた。)
road to Amman

アンマンまでの道は何もなく砂漠というのも微妙な荒涼とした地域を一直線の道が永遠と続く感じ。向こうの車もダッシュボードにファーが置いてあるというへんな共通が。。。。

アンマンに到着したのは3時ちょっと過ぎで、JETTバスオフィスでチケットを予約し、ダウンタウンをぶらっと歩いてその日は終了した。


ダウンタウンの裏路地はちょっと怖いです。
alley


キングアブドゥッラーモスク
King Abdullah Mosque

ヨルダンで一番大きいモスクで、アンマンで唯一異教徒が入れるモスクらしい。でも入れる雰囲気じゃなかったけどね!


二日目に止まったのはCaravan Hotel。二つ星のホテルにしては汚い部屋だった。地球の歩き方はちゃんと取材をしたのか?
Caravan Hotel(キャラバンホテル)

JETTバスオフィスから徒歩15分くらい?の場所という以外は泊まる理由はないかもしれない。